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はじめまして

はじめまして。約2か月前に入社しました新人君です。よろしくお願いいたします。

 

さて、今回急にブログの更新を担当することになりまして、何かいい話題が無いかな無いかなと休憩時間に思い巡らせていましたが、結局思い浮かばずその日は断念しました。

 

あいも変わらず世間はコロナで騒がしいですね。季節は冬、気温はぐっと下がって朝布団から出るのが苦しくなりました。先々週は寒波の影響でこちらでは普段なかなか見れない雪が降るほどに冷え込みましたね。そんな寒空の下でマスクの着用と、先は見えないでも大丈夫と言い聞かせなければならない、そんな心もとない状況で今までとは違う冷たさも感じます。早く平穏な日々に戻ってほしいですね……

 

ということを考えていると、最近とあるSNSで僕自身に衝撃が走った会話を見たことを思い出しました。

 

簡単に内容を説明すると、ある大学生と、その友人との会話で最近学校休んでるけど本たくさん読んでるよーっと言って、その大学生の友達が、それって何もしていない人が言うやつだよとストレートに言ったと……

 

実は僕、趣味の一つで読書をしていて(たくさん読んでるわけではないですが)どこかにアウトプットすることのも無くただただ読むだけの日を過ごしていたのでこの会話の内容が見事に自分に刺さりました。

 

本当に何もしていないわけではないですが、本を読んだ先の行動が出来ていない状態、つまりなにも生み出そうとしていないんですね。

 

それだと自分の頭だけが肥大していくだけで他から見れば本を読まない状態と何ら変わりないのじゃないかと、僕はそう感じました。

 

なので、結構自分にはいいタイミングでこの機会が回ってきたなと思っています。いいタイミングで!!

 

で、最近「痛み」についていろいろ調べていて、その痛みについて網羅されてる本があるんですけど、なかなか難しいですが、おもしろいです。人の身体なので単純ではないですね。

 

痛みを説明するにあたって、デカルトの「心身二元論」で説明されることが多いかなという印象があります。デカルトは「われ思う、故にわれあり」で有名ですね。

 

デカルトは心身二元論の中で、「心」と「身体」は別個のものとしています。

 

「心」は魂を指し非物質で自由な物

「身体」は脳・神経系を含む物質であるとしています。

 

このデカルトモデルだと、痛みがあれば組織の損傷や、何らかの炎症、組織病理的なものがあるだろうとして、なければ心因性と考えます。ですが、最近精神と身体の相互作用の多様性を軽視したデカルトモデルと乳児や動物などが経験する痛みは明確に表現できなかったため、去年、このデカルトモデルに従っていた痛みの定義が変更になりました。

 

その内容はこちら↓

痛みの定義2020 日本語訳 (日本疼痛学会2020.7.25)

「実際の組織損傷もしくは組織損傷が起こりうる状態に付随する、あるいはそれに似た、感覚かつ情動の不快な体験」

付記

・痛みは常に個人的な経験であり、生物学的、心理的、社会的要因によって様々な程度で影響を受けます。

・痛みと侵害受容は異なる現象です。感覚ニューロンの活動だけから痛みの存在を推測することはできません。

・個人は人生での経験を通じて、痛みの概念を学びます。

・痛みを経験しているという人の訴えは重んじられるべきです。

・痛みは、通常、適応的な役割を果たしますが、その一方で、身体機能や社会的および心理的な健康に悪影響を及ぼすこともあります。

・言葉による表出は、痛みを表すいくつかの行動の1つにすぎません。コミュニケーションが不可能であることは、ヒトあるいはヒト以外の動物が痛みを経験している可能性を否定するものではありません。

 

内容はこのようになっています。とても難しくて頭の中を言葉未満のものがぐるぐると回っているような感覚です。とにかくこれを覚えた状態で考察していきたいです。

ぼんやりですが、痛みは大変複雑なものだと捉えています。

痛みは常に個人的な体験であり、生物学的、心理学的、社会的要因によって様々な程度で影響を受けます。社会的要因ってなんや?って感じですが、疼痛医学という本で次のような説明がありました。米国の人文人類学者のズボルフスキーは、「痛みを分析するための研究は、実験室や診療室のなかだけでなく、社会という複雑な迷路においてもなされなければならない」と述べていて、「痛みをどのように感じているか」というよりも「痛みをどのように他者に伝えるか」がさらに重要であると述べ、痛みを訴える人の民族的な問題だけでなく、その個人が所属する社会にも大きな影響を受けることも指摘されています。現代ではその個人が所属する社会的な要因が大きいと思われます。集団的な価値観などの要素にも影響を受けることになります。という説明がされています。

これだけでも痛みを把握する難しさが分かります。社会的な要因も影響しているならその「人」をみなければいけないかもしれないですね。

しばらく読み進めていきます!